絹の考古学(その5)

2020-04-27

絹と紙

紙の発明前

現在の紙は木材等のパルプから作られていますが、最

古の紙(紙らしき物)は紀元前3000位前の古代エジプ

ト王朝でパピルス(カヤツリ草の一種)から作られたと

いわれています。ヨーロッパでは紀元前2500年位前に

は羊皮紙が作られていたようです。

同じ頃、東北中国にも南部から養蚕技術が伝わって来る

と、繭から糸を採った残糸で敷物や風呂敷の様な物が作

られたと云われています。

また、紙とはいわれませんが、南太平洋の島々(トンガ、

サモア等)で現在でも作られている「タパ」といわれる

腰飾や敷物、壁材に使うクロスがあります。

それは木の皮を剥いで叩いて延ばし、ベニヤ板の様に、

たて繊維とよこ繊維を相互にタロイモなどの糊で2〜3

枚は貼り合わせ、手描きや拓本で模様を描いた物です。

これも紙に発展する過程の物ではないかと思われます。

いずれにしても人々が邑をなし、権力者が生まれ、生

活を律する神事や、王の命令などを正しく伝える為の「

文字」が作られなければ、紙はあまり必要に迫られる物

ではなかったのではないでしょうか。

私が文字を持たない石器時代さながらの南太平洋の島

(マレクラ島)の人々と生活した時、紙には誰も興味を

示しませんでした。

日本でもつい最近まで木を紙の様に薄くした「うす板」

が肉などの食料品を包むのに使われ、魚屋などではそれ

に品名値段などを書いて商いをするのが普通でした。簡

単な覚え書き程度のものはなにも紙でなくても、木簡で

もよかったのです。奈良時代までは木簡も多く使われ

ていたようです。

紙の発明紙はなぜ糸ヘンか

紀元前3000年頃の中国の黄河文明当時の絹には撚り

のかかった細い糸は作られておらず、権力者も庶民も手

紬の太い糸で専ら寒さから身を守る物づくりが中心でし

た。それから千数百年を経て殷の時代になると、占いな

どの象形文字が亀の甲に刻される様になり、文字が急速

に発達して来ます。それは広範囲に権力が及び、王命を

正確に伝達する手段として、また賢人の言葉を広く流布

し、国の道徳律を統一する為にも紙は必要欠くべからざ

る物になって行くのです。

権力者の為に均一な汚れのない上質な糸を作ればそれだ

け屑糸が出ます。また使い古しの真綿(絮)なども出て

来ます。それらをまとめて熱い灰汁(あく)湯で煮熟し、水にさ

らして不純物を除き、水の中でほぐし、叩いて均一にし、

干して、「絲絮片(いとじょへん)」と云う一種の不織布が「紙」と云われ

ようになりました。それはタパのように厚手の物で、敷

物などに使われていました。

ある時、その敷物を作った後の水中に浮遊している細か

な糸片を漉いて干した薄物も紙と云っていたようです。

これが紙の始まりです。

その紙は軽くて持ち運びし易く、多くの情報を正確に記

載でき、紙と文字は車の両輪の様に発達し、権力がその

上に乗って強大な王朝が形成されて行く基になって行く

のです。

周王朝の中頃には撚りのかかった薄絹も織られる様にな

り薄絹生地に沙汰書を書く様になりましたが、漢の時代

になると周辺諸族の活動が活発になり、彼らに力を示し、

慰撫(いぶ)する為にも上等な真綿(緜)を使って紙を作る事が

求められて来ました。それは「緜糸」と云われる最上級

の紙となって行きます。

紙は絹から作られたので、糸ヘンを書くのです。

さらなる紙の発展

中国の漢の時代になると樹皮や草木から紙が作られる

様になりました。この大発見が今日の紙です。

シルクロードが開けて中国から紙がヨーロッパ、エジプ

ト方面に行き渡ると、長き歴史の羊皮紙もパピルスも次

第に姿を消して行きました。

技術革新は今も昔も熾烈なのです。

絹紙の現在の評価

亀甲文字の大家に絹生地に筆で文字を書いて頂いた事

がありますが、書家はなにも言わずに作品を納めて下さ

いました。しばらく後、絹100%ではありませんでした

が、絹紙を作った会社があり、それを著名なひら仮名書

家に平安時代の様なひら仮名をしたためて頂きました所、

「この紙は筆がすすみ難い」と言われました。

絹紙は筆のすすみが和紙に近いと思っていましたが、専

門家には和紙の方がよいと云う結果になりました。

絹紙は漢字には良く、しなやかなひら仮名には不向きな

のでしょうか。紙は古代からの情報化時代を担って来ま

したが、新たな電子機器による情報化時代にどの様な役

割を果たして行くのでしょうか。

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