絹の考古学入門(その3)
銅鐸の鋳画像の推敲
銅鐸
銅鐸は弥生時代の青銅器の一種、形は釣り鐘状、上方
に半円形の鈕(ちゅう)、両方に扁平な鰭(ひれ)状の突起があり、厚手の
物は20㎝、薄手の物は150㎝と大きさは様々で、近畿
地方から多く出土していて、祭祀の為に制作された物と
考えられています。
その側面の多くは狩猟、漁労、農耕の三つが表現されて
います。しかし上記の1、2図に関しては諸説がありま
すので、諸説をご紹介しながら色々推考してみたいと思
います。いずれも活動の刹那を捕らえた表現が多く、絵
画と言うにはあまりにも抽象的で、叙事詩を語る絵文字
のようにも見えます。想像をかき立てられます。
稲の虫払いの道具説
弥生時代近畿以南はウンカの発生が多く、麻柄(あさがら)で作っ
たカセでイナゴをかせぎ落とす神事をしたと云われてい
ます。虫送りの行列が村はずれまで行き、銅鐸の多くが
村境に埋められている事がその証ではないかと云われる
所以です。
コンパス説
高床式住居など複雑な建築物が出現し、正確な円や直
角を描く事が必要になり、カセの横木を垂直に立て円を
描いたと云う説、上図3がそれを示唆しています。
漁具説
上図2には魚が描かれています。手に持つ道具は魚を
採る延縄(はえなわ)を巻く糸巻きで、まるい点線は魚を入れる編袋
ではないかと云う説。但し数多く出土した銅鐸の中で魚
が描かれている物は他に有りません。
水平器説
人物像が手に持つ工字形器具は水田をならすとき使う
水平器ではないかという説。
糸巻を取る「かせ」説
この時代身体を保護する織物は食と同じく大変重要な
日常作業であったと思われます。従来のどの植物繊維か
ら作る物より、軽くて柔らかく、温かい絹と云う新繊維
が普及し始め、春繭が収穫され、糸を紬ぎ、機織りの準
備が整う天の川が綺麗に見える頃、池や川の水の畔(魚
などの恵みに感謝)に高床の棚小屋を作り、そこに女性
(棚機つ女(め))が心霊を受けて機(はた)を織(お)った神事を「七夕ま
つり」として絹の普及増産に努めた事などを考えると、
銅鐸の1、2の表現は、糸を紬いでその糸を桶にとり、
そこから手に持った道具、即ち「カセ」に巻き取る姿で
はないだろうか、図4からも推測出来るところから、こ
の銅鐸の表現は「カセ」という説が有力になりました。
疑問 ? ?
図4の女性は、立て膝をして、「カセ」を胸元に持っ
ていて、片方の手は自分の膝上で桶からの糸を支えてい
ます。ところが、銅鐸の表現1は「カセ」を自分の目線
より少し高めに持ち上げて、片手は空を掴んでいます。
図2も類似しています。此れ等の図柄が糸を巻き取る「
カセ」と断言するにはやや躊躇します。
当時中国から度量衡のシステムが移入され、「カセ」は
糸を「カセ」に取る道具であり、何回巻くと1反分の糸
である、と云うふうに糸の量を測る道具として大切にさ
れたのではないだろうか。この長さの基本は家を建てる
時も、魚を獲る延縄を作る時も使われたではないでしょ
うか。銅鐸の奔放な図柄は糸を巻き取る道具としてばか
りでなく、尺度の基本として活躍している姿ではないだ
ろうか。
稼(かせ)ぐ
銅鐸が作られていた時代、糸を「カセ」に巻きとリ綛(かせ)
(カセからはずした糸の束)を作る事を「カセグ」とい
った様です。沢山綛を作れば当然豊かになります。いつ
の間にかお金を稼ぐ事をいう様になりました。